前回の記事で帯広ー豊頃までのんびりドライブをしていました。
この日は帯広から納沙布岬まで行き、そのまま宿を手配している北見まで行きます。当然岬を観光するのであれば、昼間おそくても日没前。北見には居酒屋予約していたので21時までには着きたい。かなり無謀かもしれませんが、高速道路は一切ない下道オンリーの道東ドライブです。車降りて観光した場所以外は、ノンストップです。同じようなルートでドライブ計画される方にはあまり参考にならないかも。
本日の行程。宿は根室もしくは釧路にしておけばと後悔。
厚岸の道の駅には年中牡蠣が食べられる
豊頃の物産直販所から厚岸の道の駅まで約139キロ。約2時間。ノンストップ。疲れます。運転はすべて私ですから。厚岸と聞くと牡蠣が捕れるところで有名ですよね。しかしお盆の8月に牡蠣なんて食べれないんだろうと思って冷やかし程度に覗きにいくと、自分で焼く牡蠣屋さん発見しました。
1個190円からなのでかなりお得です。
牡蠣以外の具材も豊富です。手ぶらでBBQ出来ます。
炙屋さん。好きな具材と1人300円で案内してくれます。
190円の牡蠣です。安いけど・・・とても美味しい!牡蠣ペロッと頂きまして速攻移動開始です。再来決定ですね。遠いけど・・・
釧路ー根室ー納沙布岬
厚岸から約100キロ。約1時間半。ノンストップ。
お盆真っ最中であってもこのあたりは日中でも涼しい感じです。ラジオのCMではスタッドレスタイヤのCMが始まっていました。長い冬の地域なんですね。
ずっとこんな感じの道です。
ロシアっぽくなってきました。
納沙布岬
ついに着きました!なんとか日没前。明るいうちに観光したかったのですが、北方領土は見えず。そして夏場でもめっちゃ寒い。上着は必要です。
ふとここで同じような納沙布岬と書いてある石碑が多いことに気付く。
自治体で設置したものや政治結社の石碑など。私有地なのかな?
納沙布岬にある北方館
納沙布岬にある北方館は、無料で入れます。
中には、ジオラマを使った北方領土の位置関係、原住民の資料。戦前ロシアと交わした条約の原本?やここを訪れた政治家の写真など充分見ごたえのある施設。
今の大臣もこの後に来たのでおそらく写真撮られているだろうと思いますが、頼りないですよね。愛知選出の北方領土、沖縄素人です!と言っている人が大臣なんて、期待値ゼロで出迎える地元の人も可哀想です。
先の大戦でソビエト(ロシア)になった経緯
私も北方領土のことについて全く理解していなかったものです。ここで少し勉強したことを書きたいと思います。
1945年2月 ヤルタ会談
ソビエト、イギリス、アメリカの首脳会談。ドイツ降伏の3ヶ月後に日本帝国を敗北させるためにソビエトの参戦を依頼。ソビエトは見返りに南樺太と千島列島の得る内容の協定を確約。のち4月に日ソ中立条約の破棄を通告。
同年8月9日 ソビエト参戦
旧満州国、南樺太、千島列島とソビエト軍の侵攻が始まり、15日の日本のポツダム宣言以降も戦いは続いていた。北方領土の択捉島は8月29日、9月1から4日に色丹島、国後島。最後の歯舞諸島は9月3日から5日にかけて占領。戦争が正式に終わる降伏文書に署名した9月2日以降も戦争が続いていた状態であった。
北海道北部まで占領する計画であった。
ソビエト軍の狙いは旧満州国、南樺太、千島列島、北朝鮮と更に北海道の北部を占領する計画であった。圧倒的な兵力の差で一気に北海道上陸、北部占領まで狙うはずだったが、南樺太や北方領土の旧住民や旧日本軍との交戦で時間を要し、計画通りには北海道の北部まで占領することができなかった。しかし北方領土と言われる日本固有の領土はこの時に占領され今も日本側がいう不法占拠状態のままである。
終戦後の憔悴しきった状態で多くの犠牲者を出し戦っていた先人のおかげで現在の北海道がある。もし抵抗せずに無抵抗のままソビエト軍の侵攻を許していたら、今頃北海道北部の旭川あたりに北朝鮮みたいな共産国家があったかもしれない。ポツダム宣言受託後、日本が降伏文書調印している最中もソビエト軍と戦っていた日本人に敬意を表したい。
不法占拠状態がこれ以上長く続くと旧島民も生きて帰ることができなくなり、また新たに住みたいと思う人もいなくなってしまう。一刻も早く日本に返還されるように日本の政治家はしっかり仕事をしていただきたい。私も微力ながら署名させていただきました。